2008年06月30日

節目を祝うということ

中学を卒業させた生徒の成人式に呼ばれて参加してきた。振袖やスーツで決め込んだ元教え子たち。着物にも、スーツにもその年の流行がある。髪型もだ。男子(男性というべきか)はみなそろって長髪。はれやかな顔で微笑んでいる。TVでよく報道されるような暴動や珍事件はなかった。あれは一部のことなのだろうか。とにかく滞りなく式は終わった。

教え子はみな、うれしそうな顔で記念写真におさまったり、おしゃべりに花を咲かせている。進路先での生活もうまくいっているようだ。希望に満ち溢れた表情にこちらも元気を分けてもらうような思いだ。

ところで最近は、「2分の1成人式」といって、10歳になるときに、小学4年生で、学校行事として節目を祝うということがある。10歳とは、児童の成長の中でも節目の年であるといわれている。特に女の子などはずいぶん考えも大人びてきている。高学年に向けて自立を促すよい機会でもあるのだろう。

また、中学3年生は、15歳になる歳だが、昔の「元服」という青年が成人として認められるという行事にあやかって「立志式」という行事をやる学校も増えてきている。高校受験を控え、これからの進路に目的意識をもって立ち向かう生徒を励ますよい行事だと思う。

人生の節目節目で、子どもたちは祝福され、認められ、成長していく。自分たちもそうして社会に送り出されてきた。順番に、今度は子どもを社会に送り出す立場になった。子どもの夢や希望に恥じない生き方をしていきたいと思う。


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2008年06月29日

職員室で

夕方、職員室で事務処理などをしていると、ひょっこり卒業生が現れることがある。部活動をのぞきに来ましたとか、テスト前で下校が早いので寄ってみましたとか、かわいらしくてつい相手をして時間をつぶしてしまう。

たいがい進学先の制服を着て、ちょっとおとなびた表情で来るのだが、卒業した母校に遊びに来る子は、だいたいちょっとさびしがり屋で、今の生活に疲れていたり、悩みを聞いて欲しかったりするような場合が多い。なにか友達のことや部活のことをぼそぼそと愚痴っては帰っていく。教師としてたよってくれるのはうれしいことだが、来てくれなくなることのほうが、本人にとってはいいことなのだ。今の生活をめいっぱい楽しんでいるということだから。

しかし、学校というのはばたばたと慌しいカリキュラムの連続だが、放課後というのは急に空気の質まで違ったようになるから不思議だ。人のいない教室は独特のにおいがする。埃っぽいにおいに、人の匂いが残っている。見回りなどで教室を巡回すると、たとえば小学校なら低学年の教室は赤ちゃんぽい匂い、高学年の大人びた匂いとは少し違う匂いがする。

職員は仕事が山積みで急がしくても、この空っぽの静寂に包まれると不思議と心が落ち着き、和み、わざわざ空いた教室でぽつんと仕事をする者多い。学校は人が集まり、競い、育ちあい、傷ついたり疲れたりするけれど、不思議な癒し空間でもある。若い元気なパワーが毎日のように出入りしているからであろう。そんな職場が好きだ。
 

2008年06月27日

高校中退

小学校・中学校がずっといっしょだった友人が、やはり同じ高校に進学したが、秋になるころには中退をしてしまった。小学生のころはいっしょによくマンガを描いて、薄い冊子を作った。中学になると、ちょっとおとなびてパンクロックを聞いてみたり、洋楽のロックを進めてくれたりした。高校に入ってからもバンドをやろう、といいだして、音楽スタジオに通ったりしていた。まあまあ仲がいいと思っていたのだが、学校を休みがちになり、中退をするまで、あっというまだった。相談も何もなかった。彼女が学校を辞めてしまって、すこしつまらなくなったが、すぐに受験の嵐がやってきてそんなこともすっかりわすれてしまった。

彼女と私は、成績が同じくらいで、自動的に、近いその公立学校をたまたま選んだに過ぎない。目の前にハードルが来たので跳んだ、というだけに過ぎない。跳べなかったことよりいいことだが、その先のゴールまでは深く考えていなかった。私の場合はそれでも次のハードルを何も考えず跳ぶことになったのだが、彼女のロックな魂はそれを拒んだのかもしれない。

彼女からは忘れたころに便りが届く。その後、他の高校に進学し、レコード屋で働きながらお金を貯めて、ドイツで日本のマンガにかかわる仕事をしている。小学生のころとおなじ、マンガだ。自分の居場所を見つけられたのだろう。気が向いたらまた、いっしょにお酒でも飲みたい。

2008年06月22日

ひきこもり・ニート問題

2005年度内閣府『若年無業者に関する調査(中間報告)』では、ひきこもり・ニートになる人の最終学歴と、就職意思の有無などの関係について調査結果が出されている。それによると、15歳から34歳の若年無業者全体において中学卒の占める割合が7.8、高校卒が44.3、短大・高専卒が25,1大学卒が22.8そのほか0.1パーセントとなっている。全体的には高校卒が一番多い割合だが、就業する意思の低い群ほど、この調査では就職を「非希望」するグループでは中学卒の割合が25、高卒では52パーセントにまで上がっている。学歴と就業状況が明らかに関連しているのである。

中学から高校にかけては思春期であり、また過酷な高校受験という試練に立ち向かう大変な時期である。この時期に傷ついたり、道に迷ったりする若者が、その後の人生でも挫折を余儀なくされている様子が良く分かる。

今の時代、安易に学歴で就業ができないとは思わない。やる気さえあれば無資格でも自営業は起こせるわけだし、資格はあとからでも取得できるのだ。ただ、大事な時期に心の骨を折ってしまった若者にとって、夢を持つことや生活を楽しむということをイメージすることが難しいのかもしれない。本人に情緒・発達的な何か障害があって、うまく立ち回ることができなくてとどまっている場合もある。

結果ばかりを追い求め、人の心を大事にしない風潮がつづけば、こういう流れは変えられないような気がしてならない。

2008年06月20日

留学という選択

あまり知られていないが、高校に在学しながら、交換留学ができる制度・機関がある。せっかく厳しい高校受験を戦い抜いて入学しても、今ひとつ目的を見出せず、ドロップアウトしそうになったり、語学を磨きその後何かの仕事に尽きたいなど、明確な意思や理由がある生徒が選択するケースが多い。

高留連―全国高校生留学・交流団体連絡協議会という団体があり、高校生交流プログラムを実施するグループを会員に持ち、高校生の交換留学を支援している。ここを通して留学をすると、私費留学に比べてかかる費用が年100から150万と安いこと、また、帰国時に取得単位を認めてもらい、卒業要件にするか、あるいは受験を考慮して留学にするかなど、さまざまなニーズにも答えてくれる。何よりも豊富な実績でわが子を任せるのに安心である。ホームシックやカルチャーショックなど、細かい心配事にも相談に乗ってくれるようである。

 私費留学と交換留学の違いは、私費留学が「学校に行く」という学業面でのサポートをするのに対し、交換留学では、地域のコミュニティイや異文化・生活を体験する。ということに重きを置いてサポートがされるという点である。

 留学を体験した生徒は、今までと違う価値観で、あらためて日本をもっとよく知りたいと感じたり、つまらないと感じていたことに価値を見出すことができるようになる。ハードルは少し高いが、大人へのステップが確実に踏み出せるひとつの選択肢である。

2008年06月17日

教員免許の更新制度

平成21年の4月から、教員免許状の更新制度が始まるということだ。何でも、10年ごとに大学などで2年30時間の講義を受けるという社会人にはなかなかハードな設定である。これまでも初任者研修や5年目研修などは委員会ごとに自主的に行われており、10年目研修にいたっては法律で定められていた。

しかし、40代、50代でも講義が義務付けられるという制度だそうだ。内容は教育の最新事情を12時間、強化・生徒指導などが18時間、ということになっている。本当にいい内容の講義なのか?ちょっとあやしい気がしてならない。

年を経ても学び続けるのはいいことであるが、どうにも押し付けがましく、自動車免許証のように必須、しかもつまらないときては、そんなものには受講料はおろか、大事な時間を使いたくないような気持ちになる。

40,50代になってくると、教員各個人にもおのずと専門分野があり、教育研究を深めている場合も多い。研修が開催されると予想される夏季の休業中にはその研究に時間を費やしたほうが有意義ではないのだろうか?
また、校長・教頭・教育長などの管理職は、更新制度を免除されるという。その仕事の重要性からであろうか。


とにかく、教員の質の向上によって、児童生徒の利益になればよいと思うが、今の現状からして、ただの教員へのしめつけにしか思えず、反発の念を抱いてしまうのである。

2008年06月16日

教育予算

教育予算を増やし、正規職員の増加を求めるという、教育再生会議には珍しくよい提案がなされたが、あえなく却下されてしまった。現在、教職員の病気療養が増加の一途をたどり、団塊世代の大量退職時代を迎え、教育現場は大変な人手不足である。女性職員が産休を取ろうとしても、産休は半年以上も前から取得の計画が立てられるのに、講師を見つけられないために法定ぎりぎりまで働かされることもある。

人材バンクは年度途中はほとんど空っぽで、急に欲しい人材は個人的に電話をかけて知り合いのつてで探してくることも多い。

 教育予算の減少は、児童生徒にももちろん影響している。そうした教員の志気の低下というソフト的な面はもちろん、教材、教具もまた、見えないところでしっかりと粗末なものになってきている。教科書の指導用の参考書・虎の巻は、教科書会社が学校向けに出版しているが、その専門性の高さゆえ、1冊数千円以上するものである。しかし、教材研究には欠かせない貴重な資料であるそれを、各教科担任に与えず、学校や学年に1セット、などとけち臭い節約を余儀なくされている現状がある。実験用具や教材など、学校が無駄遣いするわけがない。多くの児童生徒の手に触れて消耗していくのだから、新しく、教育的価値があるものに変えていく必要があるのだ。国はもっと、公立学校の教育現場を見つめてほしい。日本は公教育をあきらめてしまったのか?そんな悲しさを感じる予算編成の季節である。

2008年06月13日

先生の心の病

公立学校の教員として11年勤めたが、その期間で大きく変わったことが、先生の心の病が増加しているということだ。はじめは、新聞やニュースになっても人事のように感じていたが、年々増加し、近年では勤務校に年間数人の休職・罹患者は当たり前になってしまった。

該当する職員は特に病弱でもなければ、問題のある教師でもない。普通に、バリバリ働いている同僚である。性別や、年齢もまちまちである。本当に明日はわが身といった状況になってきている。

原因は明らかだ。学校をめぐる問題、いじめや不登校、親御さんからの無理難題がいわれるが、どの時代にも困難はあった。校内暴力で荒れた一昔前の学校は、苦労も多かったが逆に職員間の絆は強くなったと聞く。

真の原因は、簡単にいえば多忙化であり、締め付けである。教育予算の削減により、正規職員が減り、非常勤講師の登用が増えている。パートタイムでしか居られない職員と、生徒、または同僚の絆を深める機会はない。一部の職員に雑多な校務が集中し、ストレスがたまっても、分かち合う相手は居ない。常に忙しく、心が殺気立っている。

そして、公務員の綱紀粛正という自主規制により、管理職が職員を守り育てるという立場から、監視し、報告するという役回りになってしまった。疲れ果てて、飲み会や食事会、茶話会なども自然と減ってくる。自分の時間を大事にしたい若者はそういう集いを嫌ったりもする。

一昔前の、校長がおやじであとは子どもで・・・という職場の連帯感がすっかり失われてしまった。こういった声は次第に大きくなっているのに、やはり教育予算は厳しく締め付けられるばかりで、なぜかテスト至上主義に走っている行政の思惑がまた、現場のやる気を失わせている。ゆとりという言葉が今はそらぞらしく聞こえて仕方がない。


2008年06月11日

高校入試対策

高校入試の必勝法として、進路指導の先生が必ず挙げる3つの掟、それは ?目的意識をもつ?夏休みを制する?自分で進路と勉強方法を選ぶことができる ということだそうです。この年齢、つまり、14.5歳の生徒は半分大人なのであり、半人前、親がいちいち手取り足取りできる時期ではないため、どれだけ自立して進めるかが勝利のキーポイントになってくるといえるのです。
それではいったい親には何ができるのか・・・夜食作りや小言を言うことだけではないはずです。まずは小学生のうちから出来ること(
この時期ならたくさん手出しできます)自分から勉強をする癖をつけることです。毎日一定量の課題を『進んでやる』ように仕向けます。とはいってもなかなか遊びに走ってしまい集中できないのが小学生、そこははじめは半強制的にやらせたり、学習シールやごほうびの言葉がけや賞状などの働きかけが大切です。通信教育ならこういうアメ部分もしっかりついてきてオススメです。また、国語力や総合的な知力を養うための読書週間をつけることです。親も進んで読書すると子も見習います。
中学になって親の言うことを聞かなくなってくると、少し距離を置いた大人との付き合いが子どもを伸ばします。信頼できる担任の先生や、塾の先生、親戚のいとこや近所のお兄さんなど、親御さんが上手にネットワークを使って、子どもの様子を知るようにします。ちょっと憧れの年上の存在に出会えるとベストです。反抗期のお子さんと接することは時にはつらく悲しいですが、必ず戻ってくるわが子の成長を信じて見守ってあげたいものです。

家庭学習について

私は小学生対象の学習塾を開いています。個人経営の塾で、教材も手作りでその子に合わせたペースで学習を進めています。子どもたちを指導していて思うことがあります。家庭学習は本来自分で進めるものですが、進め方がわからなかったり、やる気が続かなかったりする場合、塾や通信教育など、家庭外学習も有効だと感じます。
   
小学生の指導では、遊びに流れてしまいがちな時間をしっかり確保することをめあてにしています。基礎の反復繰り返しは、昨今の学校ではおろそかにされてきたことで、子どもたちのほうにも根気や耐性がなくなってきていますので、ねばりづよい気持ちを育てることも大事です。中学へ行っても、高校受験を戦い抜けるように、根気と継続力をもってほしいのです。

人間、どうしても気分の波というものがありますが、小学生の場合はこれが顕著で、成長段階の幼い児童ほど、気分のむらが成績に影響をおよぼします。まずはプリント1まい10問から、小さい目標をもって、その時間は集中するという作業を繰り返し教えています。小学校の低学年から中学年のうちは、親がしっかり見てやることもできます。

感情的になってすぐに親子喧嘩になってしまうという話もよく聞きますが、はじめからできないものと思ってやると失敗がありません。わが子のつまずきをチェックして助けてあげることもできます。小学生の通知表は絶対評価で、本当の全体の中での位置づけが見えるわけではありません。成績があまりぱっとしないように見えても、基本と勉強の姿勢が育っていれば中学以降ぐんとのびることができるのです。

2008年06月09日

高校受験の面接対策

高校受験の面接対策について、中学校で模擬面接の監督をしたことがあります。基本的なことがらが守れていれば大体は合格です。もちろん、校風や教育方針を理解し、聞かれた事柄と結びつけて答えられればパーフェクトですが、中学生にあまり高いコミュニケーション技術を求める学校も多くないでしょう。こういったスキルは学校に入学してから磨いていけばいいことですから。
 ですがぜひ守って欲しい基本的な事柄というのはあります。それは中学生らしい素直な明るい態度を保ち、マイナスポイントを作らないことです。マイナスポイントとは、服装、言葉遣い、うそを言う、などです。他にも、質問の答えに窮して黙ってしまうこともマイナスです。分からない場合は「自分にはわからないのですが・・・」とゆっくり話し始めるとよいでしょう。そのうち他の言葉が思いつけばよいですし、「・・・のことなら聞いたことがあります。」などと話題を少し変えることができるかもしれませんし、先方から助け舟が出るか、話題が変わるでしょう。他には、アピールポイントとして、自分が中学時代にがんばった部活や体験活動などはぜひ熱く語ってください。少々言葉が不器用でも思いは伝わるはずです。
 また、面接を意識して、日頃からいろいろなニュースや物事に関心をもち、友達ばかりではなく先生や親といろいろと話をしておくことが大事です。仲間内のメールやメッセージは微妙な気分を即座に伝えてくれますが、公の場で話し言葉にしてしまうと、大人の人には通じなかったり、不快感を与えてしまうことにもなりかねません。がんばってください。

2008年06月07日

受験当日


 高校受験の試験会場には親御さんが見送りに、中学の教諭が人員確認と励ましに来ている。他にも、予備校や進学塾の講師さんたちも詰め掛けている。親は心配そうに、先生は神妙にしている中で、この講師さんたちは異色の雰囲気を放っている。年齢は若く、先生というよりお友達感覚で威勢がいい。熟ごとに集まって掛け声を掛け合ったり、楽しいサークルの仲間といった感じである。ただ、親も、教師も、講師も、合格を祈願する気持ちはひとつである。多くの願いや希望を受けて、当日はただひたすら集中するのみ、である。ガンバレ!!
自分の受験当日を思い出してみる。遠い記憶だが・・・公立の高校受験問題は、ひねった問題などはあまり出ず、基本的なことを、多く、習得していることが表現できれば合格のはずだ。偏差値や倍率から、ほぼ合格できるとされている。落ち着いて取り組めば大丈夫なはずだ。だけど、安全な道でも絶対に転んではいけないといわれれば、かえって転びそうになり恐ろしくなるような感覚に襲われる。名前を書き忘れたら不合格になってしまうだろうか?いいようのないプレッシャーだ。勝負を仕事にしているたとえばアスリートたちは、どうやってこのようなプレッシャーを乗り越えるのだろう。プロ野球選手やオリンピック選手の顔が次々に駆け巡る。そうこうしているうちに落ち着きを取り戻し無事試験も見直しも終了。用紙が回収され、担当教官が教室を去る。そのとき、気づいた。本当に名前を書き忘れたことを!慌てて先生を追いかけて、間に合う。セーフ。ギリギリの合格でした。

2008年06月04日

中高一貫校とは

 昔はあまり聞かなかった中高一貫校、というのが注目され始めている。最近では公立学校でも学校の設置が多くなってきており、学費の高い私学の制度という認識も変わってきた。公立中高一貫校では、公立の中・高に進学した場合に比べて、学費もトータルにして変わらないらしい。企業が設立する人材育成のためのユニークな一貫校もある。
 中高一貫校のメリットは、6年間を通した比較的自由なカリキュラムの中で行われる独自の教育であり、また、厳しい高校受験戦争を回避してゆとりある学びを進められる点にある。近頃の公立中学の抱える、いじめやゆとり教育、コミュニティ崩壊という問題も、一貫校選択へのきっかけになっているかもしれない。
 高校受験がない代わりに、中学入学時に受験をするため、小学校の4年生以降あたりから受験対策にのために塾に通ったり、学校のことを調べ始めることが多いと聞く。それぞれの学校独自の教育方針を熟知して、それに同意し、子どもにあっているならベストな選択ではないかと思う。ただ、小学校高学年という時期、まだまだ他の子どもと群れてたくさん遊んだり、いっしょにいたりしたいと願う子どもも少なくないだろう。仲間から「お受験組」と切り離されて可愛そうなときもあるかもしれない。それがストレスになっては子どもの成長にとってはマイナスになってしまう。子どもといっしょに話し合い、納得した上で選択できればチャレンジする価値のある進路であると思う。

2008年06月03日

高校の恩師の話

高校の時の国語教師は、夏休みに、レポート用の課題図書だと言って、
一人に一冊、立花隆の『青春漂流』という文庫本を配った。内容はいろいろな道の達人が、その生き様を語るもの。進路選択を前に、先生からの応援の意味もあったのだろう。当時はポケットマネーか?と思ったが、課題図書という名目もあるし、なにしろ100人単位なのだし、公費か、教材費負担だったのだろう(推測)それにしたって、ひとり1冊与えるというのはインパクトがあり、心に残っている。先生は、いつも、「本を読め。」といった。目的や、理由は言わなかった。「とにかく、読め」と。授業中も折に触れ、良書の紹介をし、まじめな私は、メモった。カミュの『異邦人』石川啄木の『雲は天才である』など、高校生自らでは選ばないような古典や、マイナーなものも多かった。読んでもおもしろいと思えないものも多かったが、見つけて、読む。という行為がとても楽しく次々といろいろな本に手を伸ばした。
他にも高校ではいろいろな個性的な先生に教えを受けた。それぞれに趣味や研究対象があり、その道の求道者であった。熱くて、うるさいなと思うこともしばしばだったが、そのような生き方をじかに見せてくれたこと自体が立派な進路指導ではなかったかと今になって思う。
勉強ができることに越したことはないが、何のために生きるのか?何をしてうれしい自分があるのかがはっきりしていないと、勉強なんて出来ても仕方がないのだ。先生の「本を読め」は「自分の道を見つけてただまっすぐいきなさい」そういうメッセージだったのだと今は理解している。