2008年07月30日

家庭教師選び

高校受験を控えた生徒の家庭教師をしたことがあります。女の子で、親御さんの母校である私立女子校を志望しており、成績的にはだいたいボーダーラインくらいだったので、絶対合格できる自信をもたせたいということと、論文や面接の対策を個別にしてほしいということでした。かわいらしいお嬢さんで、目標もはっきりしていたので、とても楽しく、毎週いっしょに勉強し、ある程度の成果を出せたと感じています。無事合格することができ、とてもうれしく思いました。

これは学生時代、学校の仲介するアルバイトだったのですが、家庭教師というのは、いちかばちか、先生と合うか合わないか2つにひとつなので、家庭教師の導入を検討している家庭では、気軽に先生を「チェンジ」できるような制度があるのかチェックしたほうがいいと思います。


いくらいい先生でも、個別学習では相性が大切です。勉強が毎週楽しみになるような先生、コミュニケーションが取りやすい先生にめぐり合えれば最高でしょう。知り合いやご近所に先生をお願いするという手もあります。よくその方を知っていてほれ込んでという形なら申し分ないでしょう。

一斉学習で競い合う、予備校のような雰囲気が苦手なお子さんでもしっかりとした学習サポートが受けられます。引っ込み思案なお子さんで質問がしにくい場合も先生に個別にお願いして助けてもらうことができます。

通塾の防犯・安全上の不安がないのも良い点です。高校受験のパートナーに家庭教師を選択するのもよいでしょう。


2008年07月28日

英語教育

高校受験のための英語学習は、バランスよく文法やイディオムを網羅したカリキュラムが構成されていて、辞書を引き引き、一生懸命に勉強してきた。中・高と英語を学習してきたのに、センター試験では9割もの得点をマークしてきたのに、私ときたら英語を話すことができないのがびっくりだ。

洋画を見ても字幕ばかりに頼っているし、外国人に話しかけられるとどぎまぎしてしまい、会話にならない。仕事もメールも、英語だと迷惑メールと勘違いして削除してしまう(実際には99パーセント迷惑メールなのだが、あとの1パーセントを判断できないでいる)新聞や広告に、英語脳、英語耳、などと広告が打ってあるとつい読んでしまう。(まだ買ったことはない)

 いったい高校受験の英語学習はなんだったんだろうと思う。私ばかりではなく、会話は日本の英語学習の共通課題であるらしく、小学生からの英語学習が検討されている。数年前から、自主的に取り組んでいる自治体も多い。小学生なので、ゲームやクイズなど楽しい形式で、専任講師による英語オンリーの授業形式が多く、文字を書いたり、覚えたりということはあまりしないようだ。取り組んでいる児童の様子を見に行ったことがあるが、実に楽しそうにレクリエーションしているが、会話部分はテキトーで、身についているかは怪しい。

けれども、英語のリズムを実際に「聞いている」ことの強みはあると思う。それから、「英語であそんだ」という自信と感動だ。「面白くなくては授業ではない」と言った先生がいたが、まさにそのとおりである。私もそういう自身とよろこびをどこかで身につけてみたかった。今からでもまにあうでしょうか?

2008年07月25日

縁起かつぎ

近頃では、受験シーズンになると縁起をかついだネーミングのお菓子がスーパーやコンビニの店頭に並ぶ。「うカール」「キットカット」など、いかにも縁起のよいネーミングと楽しいパッケージに受験とは関係なくてもつい手を伸ばしてしまう。

自分が受験生のころには、こういうお菓子はなかったが、高校受験前には、学業お守りとして売っている五角形の「合格鉛筆」や、徳島県にあるJRの駅名「学」という印字のされた切符を買ってもらったりしていたことを思い出す。

そういえば受験当日はお弁当持ちだったが、どの子の弁当箱にも「カツ」がいっていたので驚いた。自分の弁当には入っていなかったのでこれはしまった、と思い、帰ってから母に文句を言った覚えがある。

言葉あそびのような、つまらないことではあるが、あとは運を天に任せるというとき、やっぱり何かに祈りたくなってしまう。やっぱり日本は言霊の国なのかなあと感じてしまう。

言葉にしたり、念ずる力が強かったりすると願いは叶うという。「念ずれば花開く」という言葉もある。逆もしかりであろう。「受かるわけがない」「もっとやらなければ」「これだけしかできない」など、ネガティブな感情が起こることは仕方がない。

しかし、それを親が子に向かって口にしたり、強く感情表現してしまうことは、結局子どもを落ち込み、いらだたせるだけでよいことはない。あきれるくらい楽観的なおおらかな、幸運を呼び寄せるような態度でわが子の背中を見つめてやりたいと思う。

2008年07月22日

内申書

高校受験には、中学校の内申が送られ、合否の基準とされる。内申とは、学業成績を5段階などの数値で表現した基本情報と、部活動・生活の様子などの所見や特記事項を記述した、簡易版通知表のようなものである。

成績(内心点)は定期テストのほか、授業態度なども重視される。英語検定や、漢字検定、ボランティア活動、生徒会活動の記録などが特記事項として書かれるので、中学校のうちに、募集のある検定・活動にははば広く参加しておくことで、視野の広い、積極的な生徒であると判断されるわけだ。

特に一芸に秀でたことがなくても、一生懸命に中学生活を送っていれば、担任からもしっかりとした内心をもらうことができる。内心で受験に落ちるということはない。

しかし、内心が受験に大きく響く場合がある。それは、いじめや万引きといった問題行動による生徒指導のあった場合である。中学の担任は過去のことを持ち出して自分の生徒を高校に入れないというような意地の悪いことはしない。どの子も志望校に入れたいはずだ。

しかし、進路を選択する時期にあって、悪質な素行を繰り返す生徒を見て見ぬふりをして送り出すことはできない。予備情報として報告する責任があるのだ。高校側は、風紀を乱したり、安易に中退しそうな生徒は受け入れたくないため、こういったマイナスポイントは受験にとってとても不利になる。日頃から社会や学校のルールやマナー、また自分の中の規律がきちんとできているか、生活面でのわが子の様子にも気を配ってやりたい。

2008年07月19日

先生が間違えた!

私の高校受験のときの体験である。志望校を、2つに絞ってどちらを受けるか迷っていた。学力のレベル・通う距離ともに同じ程度で、あとは校風と部活動、しいて言えば制服の好みくらいだったが、ここで選んだ道が後の人生に左右するのかなどと大げさに考え、ぎりぎりまで答えを出せずにいた。

先生が書類を書かないといけないのにぎりぎりまで待たせて、結局、部活はさかんでないが、自由で伝統のある方の学校を選んだ。(制服はいまいちだったが)

ところが、担任は、願書を、なんと、別のほうの学校に出してしまったのである。しばらくしてそれが分かり、どうやったのか分からないが正しく処理されることとなりほっとした。のもつかの間。いざ合格発表を見てみると・・・。

事前に学校からは合格したと聞いていたのに、名前がないではないか。よくみると、その高校の分校のところに名前が!分校名を見てもそれがどこだかにわかにはわからない。そんな知らない町に進学??
やはりこれも先生の届出間違いだった。これもまた、どうにかきちんと処理されてめでたく入学することになったのだった。なさそうだけどこういうこともあるのですね。

受験に際し、先生の事務処理も大変なのだろう。今にして思えば、まだ正規採用前の、講師の先生で、もちろん受験生担任ははじめてだったにちがいない。あれこれいわず、自分はこっちだ、とはっきり意思表明をしたほうがよかったなあと思った。ちょっと変わった思い出である。

2008年07月17日

進路相談

毎年、進路決定のシーズンになると、親子と、先生による三者懇談というのがある。これは、志望校を決定するための会であり、願書を出す学校の合意と確認が行われる。一昔前は、不合格者、行き場のない子を出さないように、学校が周到に調整し、案を提示したりして、全員合格に持ち込む風潮があったという。

しかし最近では、進学塾に通っている生徒も多く、偏差値やそのほかの受験情報を学校よりも多く知っている親子がたくさんいる。そのうえ、進学が目的の塾は、実績を上げるため、より高い目標を目指し、挑戦させる気持ちが強い。だから、「ここなら受かる」という考えではなく、「君ならいける」という積極的な進路指導を行っているそうだ。

だから、親子ともに理想が高くしっかりしている場合は、客観的に見て無理そうだなという場合も、本人たちの意思を尊重することになる。結果、不合格や、滑り止め対策なども増えてくるが、自分の意思でそうなった場合は意外とすっきりと現実を受け入れることができるとも聞く。

やはり進路とは、押し付けではなく、自分で切り開いていくべきものだろう。学校の心配に合わせる必要もなければ、塾の勧めるままでも、親の希望をかなえるものでもない。自分が本当はどうしたいのか。子どもにそれが自覚できているか、あとで本心に気づいて後悔しないのか、いまいちど親子でチェックする機会をもちたい。

2008年07月14日

高校は中学とは違う

高校受験を終えて、入学してみると、中学とはいろいろな点でちがうなあということに気づくものである。

まずは、教科書。義務教育ではないので、お金を出して買わなければならない。それから、クラス。いちおうクラスや担任というくくりはあるが、中学校のそれと比べてゆるやかな集まりで、朝に担任から連絡があるのみの簡単なホームルームだったりする。授業があり、終われば帰る。非常に単純だ。高校は、ただの箱なのではないかとさえ思える。

なにかほうっておいてもわくわくするようなドラマがおこるのではないかと錯覚していたのかもしれない。突然自由になって逆に不安になっているのである。クラスメイトも、どこで身につけたのか、全国レベルの技をもつスポーツウーマンだったり、腕利きのドラマーだったり、ピアニストだったり、今までの平凡な顔ぶれとは違っていて刺激を受ける。

それでは自分は何になりたいのか、どうしたいのか、そういうことを自然と考えるようになった。それを探しに、よく図書室や図書館に行った。半分ほどしか意味のわからない古典や文学を読んでいる間は、まだ答えを出している途中で、猶予があるように思えた。源氏物語などのように、続きが長くてなかなか終わらないものだとよりありがたかった。このころに読んだ本はのちに教育学部の国語科を受けるときに大変役に立った。あの文字の羅列の中にやっぱり答えはあったのだ。みちびかれるままに道を進めば、自分にあったそれらしい場所にたどり着くのかもしれない。そういうことを私は高校で学んだ。

2008年07月12日

高校生の夢

私は、イラストレーターをしている。この前、何気なくインターネットの学生コミュニティポータルサイトにたどり着いた。そのサイトでは学生生活を支援するという大小3000以上の学生掲示板群によって構成されており、いろいろな話題で盛り上がっていた。

中でも、将来の夢、という話題で、イラストレーターになりたいという人の書き込みを読んでとても明るい気分になる。「だれそれのようなイラストレーターになりたい」「どうすればイラストレーターになれるのか」「どの学校にすすめばいいのか」とても前向きではっきりした目標に応援の声をかけずにいられないような気持ちになる。

 自分の高校生のころは、そんなに明確な将来の夢などなくて、大学進学時には得意科目と成績で志望校を決めた。学校はもちろん応援してくれたが、ある非常勤の先生にこういわれた。「国語が得意だから国語科にいくの?いったいなにをしたいの?」と。

そのときの自分には、夢が何なのかはっきりわかっていなかった。でも、いまでは分かる。3人兄弟の長女で、美術系の学校に行きたかったが、芸術系はお金がかかるからと親に言われていたのでそちらの進路には自分から道を閉ざしていたのだ。

ずいぶん回り道をしたが、ようやく夢をかなえることができた。それは、あの講師の一言を、折に触れ自分に問いかけ続けた結果だ。私の恩師の一人である。

2008年07月08日

職業体験

最近は、中学でも高校でも、職業体験という活動を取り入れている学校が多い。実際の職場にアポイントを取り、実際の仕事を体験させてもらう活動だ。おもに生徒は、自分の希望する職業や、体験してみたい職種に関して調べ、自らアポイントを取る。受け入れ先はファーストフード店、保育所、図書館などさまざまである。ここで彼らは数日間限定で職業体験をする。これは強烈な印象で生徒の心にインパクトを与える。

自分の未熟さを痛感して帰ってくる生徒、もっと仕事に従事したかったと喜んで帰ってくる生徒、時間が長くてきつかったとへこたれて帰ってくる生徒、さまざまだ。しかし、百聞は一見に如かずとはよくいったもので、自分の適性を知ったり、親の勤労への感謝を持ったりすることが一瞬でできるすばらしい活動である。

最近では、教職経験者に対しても、このような実地研修が行われている。10年などの節目に当たる年で、数日間の職場体験を研修し、幅広い経験を養おうとするものだ。中には、1年などの比較的長い研修期間を持たせる場合もある。本来は、見識の狭いとされる教員の啓蒙のためという意味合いがあったのだが、最近では教員の職場の環境の悪さを改めて感じ入るという皮肉な感想をもって研修を終える教員が多いという。

働くということは生きることだ。いきいきと自分の役目を見つけて他の誰かのために役立つことのできる居場所を、それぞれに見つけていきたいものである。

2008年07月05日

全国学力テスト

全国の小学6年生と中学3年生、約232万人を対象にした「全国学力・学習状況調査」が今年も行われた。このテスト、慎重を期すために宅配で運ばれ、執り行われるが、作成、準備、発送のために49億円、取りまとめ段階においては10億円もの費用がかかっているということだ。

国際社会においての日本の児童生徒の学力低下が言われている流れから来るものなのだろうか、授業時間増やゆとり教育の見直しなどが検討されて、実際に施行さればじめている。かつては、校内暴力など、学校の「荒れ」「落ちこぼれ」といった問題に対処すべく教育のゆとり化へと向かっていったはずなのにこの急激な路線変更はどうだ。

テストを受ける児童生徒は、日頃のテストよりやや難しい記述式の問題にためらいを感じ、また、何のために受けるか今ひとつぴんと来ない様子でもある。中学生は、高校受験に関係がないと、そっぽを向いたりもしている。

テストの分析結果は詳細にわたり、この問題を間違えた児童にはこのような指導が必要であるという結果が文部科学省の公表資料として出てきているが、これを実際に読んで指導に役立つという段階にはまだいたっていない。

序列化や予算の配分に影響が出るのでは?という現場からの危惧が聞こえてくるばかりである。せっかくの大規模なプロジェクトなのだから、現場を知るきっかけにして、教育施策に生かして欲しいとねがう。

2008年07月04日

OECDの学力調査

OECD生徒の学習到達度調査の結果、日本の成績が上位から転落した。というニュースが新聞の見出しを大きく飾った。テスト対象の15歳の生徒を思う。ゆとり教育を受けてきた子達だ。授業時間が削減され、繰り返し学習で学力を定着させてやる余裕もなかったなあとこれまでの指導を振りかえる。ゆとりがすべていけなかったんだと。

しかしよく見てみると、前回のテストに比べ、テスト参加国が32カ国から56カ国に増えているではないか。以前がたまたま高かっただけかもしれない。負け惜しみのようでなんだが、各国で受験条件はバラバラ。何回テストを実施しても順位がころころ変わってしまいそうな気がするのは私だけであろうか。

しかし学力到達度が世界一であるフィンランドについてはやはり注目せざるを得ない。教育や福祉に公的な予算を投入し手厚く国民を守っている国柄のように思え、うらやましい。フィンランドは日本や韓国のような受験戦争とは無縁だと聞く。

学習プログラムの紹介などを見ると、日本がゆとり教育の中でめざしてきたものに近いものが見えるような気がする。それは総合的な学習の時間であり、理科・社会の基本となる生活科の理想的なありかたのようでもある。

もしかしたら、日本は数値にこそ見えなかったがいい線まできているのかもしれない。それは空想だろうか?調査結果が「順位の低下」という点において安易に恣意的に報道されずぎているような気がしてならないのだが。